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2007-06-16 Sat

_ emacs 22が

リリースされたので久々にアップデート。Macにはcarbon emacsのパッケージをいれていたのだが、いい機会なので自前でコンパイルする。

GNU Emacs 22.1.50.1 (i386-apple-darwin8.9.1, Carbon Version 1.6.0) of 2007-06-16

だそうです。
ちなみにLinux環境で前まで使っていたのは

GNU Emacs 21.3.50.1 (i686-pc-linux-gnu, GTK+ Version 2.6.2) of 2005-02-10

だった。実に2年ぶりか。思えばemacsとの付き合いも長いものだ。10年以上になる。

で、アップデートにつきものなのが動かない関数その他。これがあるからあまりアップデートはしたくないのだよな。ましてemacsは生活環境なのだからヘタなことはしたくない。今回もやっぱりエラーがでたり挙動不審になった。

(resize-minibuffer-mode 1)


(setq scroll-margin 3
      scroll-preserve-screen-position t
      scroll-conservatively 4
      next-screen-context-lines 3)


こいつらがマズかった。とりあえずコメントアウトして対処。そもそもいつ設定したのか覚えてない…

_ 思ひ出

長いつきあいといえば、やはり10年使ってきたフデバコが壊れた。これだけのことで無闇に落ちこむ精神状態ってのはあまりよろしくないのかもしれん。まあそれを自覚できるくらいだから、どうってことはないか。

モノって思ひ出だよね。それを見ていろいろと思いだす。記憶は脳ではなくまわりのモノゴトの中にこそ保存されているという説は、だから真理だ。科学的にではなく、事実として正しい。おれが古いモノをなかなか捨てられないのは、自分の思ひ出を捨てたくはないからというより、自分の存在した証拠を、さまざまな形で残しておきたいからなのだろうけど。かたみこそいまはあたなれ。

旅先で買い物したレシートのほうが、旅先で得た思ひ出そのものより、おれにとっては大切だったりする。外部記録メディアなんですよ。おれのまわりのすべてのものは。

身のまわりの古いものはどんどん壊れてゆく。人間だけは壊れたくないものだ。いろんな意味で。